概要
第四の壁とは、舞台と観客を分ける一線のこと。特に「第四の壁を破る」というのは、舞台上の役者が観客の存在を意識した行動をすることである。
ゲームにおける「第四の壁を破る」
超能力者である「サイコ・マンティス」は読心(リーディング)能力とサイコキネシスを披露するためにメタ的なことを行う
- メモリーカードを読み込む:「貴様の趣味を言ってやろう。うーん、見えるぞ。貴様の記憶が… ときメモが好きなようだな」
- コントローラーを念動力で動かす:「いくぞ、今からそのコントローラーを俺がサイコキネシスで動かしてみせる!」
- ゲームの接続が切れたような演出:「ブラックアウト!」(ヒデオ)
Doki Doki Literature Club! (ドキドキ文芸部!) では、ゲーム内の登場人物がキャラクター側から操作しているプレイヤーに接触しようとする場面が見られる。
- スクリプトを修正してストーリーを変更する
- キャラクターデータを削除することでゲームから存在を消す
- ビデオキャプチャーソフトが起動していると動画配信中についての発言をする
- セーブデータを勝手に消してしまう
Undertaleではすべてのモンスターを殺すGルートが存在し、「すべてのモンスターを殲滅させる」など明確な目的がない限りこのルートに入ることができない。そしてそれは極めて作業的で退屈なゲームプレイを強いられる。
そして、Gルートではモンスターからは避難軽蔑の言葉をかけられ、イベントでもサイコパス的な行動を取り始める。各種UIも専用の表記へと変化する。また超絶高難易度のゲームが始まる。
そしてGルートクリア時には、世界が消滅してしまうため、セーブデータを消去するかどうかの提案がされる。
過度に暴力要素の強い本作品では、ゲームキャラクターが残虐性についての問いかけを行い、あたかもプレイヤーについて問いかけを行っているように感じさせる。
この作品自体、主人公の異常な精神性を見せられているような演出やストーリー(読み手を混乱させるようなサイコホラーの手法が使われている)であるため、第四の壁を越えようとしているように感じさせられる。
悪役の奴隷のように敵を殺戮し続ける主人公に対して、「ゲームをプレイしている」のではなく「ゲームをプレイさせられている」ということを匂わせる表現がある。
厳密には第四の壁ではないが、ドラッグオンドラグーンでは「暴力行為に対する問題提起」が行われ、どのルートに進んでも救いようのないエンディングとなった。
『ドラッグオンドラグーン』シリーズをつくり始めたころは、たくさんの敵を殺すことがゲーム業界では当然とされていました。だけど、人を殺しておきながらハッピーエンドで終わるのがわたしにはすごくおかしいことに思えたんです。だからわたしが以前つくったタイトルの多くは悲劇で終わっています
ゲームデザイナー、ヨコオタロウの「仮面の裏側」に潜むもの
後続するヨコオタロウ作品の「ニーアレプリカント」「ニーアオートマタ」でも、暴力行為に対する問題提起というテーマは引き継がれている。